部屋を明け渡すために物を片付けているとき、妙に胸騒ぎがした。所有していた物が無くなっていく。俺はこれからどのように生きればいいんだろう。漠然とした不安が静かに広がっていく。部屋の物に依存していたとは全く思わなかった。出国することから目を背けていたのは、俺がバンコクに依存していたからだ。
タイに移住して1年が経過していた。タイ語を学ぶという名目でED-VISAを取得し、パタヤの語学学校に通った。授業は全て英語で進行するため、質問や解説を聞いてもわからないことの方が多かった。俺は上がり症だから、授業の度に心拍数の異常を知らせる警告がGarminの腕時計から度々発せられるのだった。
結果的には学校が唯一の拠り所だった。タイは利便性やコストの面から極めて移住のしやすい国だと思っているが、単身で乗り込むのは非常に危険である。捉えようのない孤独が無限に広がっていく。孤独は常に信頼によって解消されるものなのだ。痛みと恐怖を感じながら、週に1、2回の授業は安心感を与えてくれた。

やはり、この1年間の生活で彼らの名を挙げない訳にはいかない。ウクライナ人のVitaliy, Dimitri, Olegである。ある日の授業が終わったあと、力強く手を差し伸べてくれた彼らによって俺の生活はみるみる変わっていく。
気付けば、155ccのYAMAHAのバイクにまたがって街を爆走するようになっていた。バイクに乗ることなど夢にも思ってなかった俺にとっては、まさに青天の霹靂である。反対車線にはみ出したり、歩道を暴走したり、危険な車線変更を否応なく繰り返す車やバイクにブチギレながら、俺もまたスロットルを回していた。彼らがバイクを貸して練習させてくれなければ、中古のバイク屋に連れて行ってくれなければ、俺は今も灼熱の最中ソンテウやMBTを使う不自由な生活を余儀なくされていたに違いない。

大胆不敵で勇敢な行動には何度も感銘を受けている。遠慮をしながら人に優しくすることが求められる日本にはロールモデルがないと感じていた。肉体的に、精神的に強さを追求する彼らの生き方は、空っぽの心に勇気を与えてくれる。借りたレンタルバイクで転んでしまった時、絶対ギャングの全身タトゥーの親父に歯向かって言い負かしてくれたことは一生忘れないし、Si rachaへの旅の時にバイクの最高速度でみるみる先に行ってしまったことも忘れない。常に強さを追求しているのだ。
それでいて感心するのは、決してイキっていないということだ。劇場版ドラえもんのジャイアンのように、横柄でありながらも手を貸してくれる。戦争から逃れるために来ているという前提はあるものの、幼馴染同士で一緒に海外移住をする選択は自分の新たなロールモデルの一つになっている。

誕生パーティーで振る舞ってくれた”本物の”寿司、バーベキュー肉、チキンがモリモリのポテトサラダであるolivier saladもやけに美味かったし、行動の説得力がやけに強いのだ。薄々感じていたが、彼らがいなくなった今タイに残る強い理由はないのである。俺は人間関係の希薄さを物で満たしていた。今が手放す時なのだ。
もちろん、常に上手く行っていた訳ではない。ちょっとした意見の相違で気まずい空気を過ごしながら、少しずつ前進したのだ。
3月のある日を思い出す。
やや干上がった池の周りを一緒に歩いた。
何の変哲もない池を理由もなく。
まるで中学生をやり直しているかのように。
