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日本人のステレオタイプ

Posted on:October 24, 2023 at 10:11 AM

丁寧だとは思うが、優しくはない。

やや怒気のこもった声で、マニュアル通りの接客をするスタッフ。牛丼供給マシン。奴隷のような現状に怒りを覚えているが、なす術がない。日本は行政・会社を含めた供給側の論理が強すぎる。否定する権利を獲得していない。顧客第一主義の名の下に事細かにマニュアル化された一連の業務フローが、従業員を、そして顧客さえも機械化している。顧客は考えることもなく「はい」というだけだ。供給側が我々の指先まで効率を浸透させた結果、顧客は機械化された社会の邪魔にならないよう、自らを律し罰するようになった。

正しい教育を受けた従業員はルールに則るよう丁寧な言葉で教育し、顧客を管理・監視している。これは優しさなんかじゃない。「おもてなしの心」とかいう実態とは逆の欺瞞に満ちた言葉で日本の接客が語られるのは実に腹立たしい。体の隅まで効率化が染み付いた国ニッポン。

自身を世界で非常に静かな存在だと認知しているが、実はうるさい。公共の場では静かにすること、しかし一方で、「はい!」と大きな返事をすることを徹底して教育した結果、仕事終わりのサラリーマンが声を押し殺して飯を食う中、店員の怒気に満ちた声が店内に響き渡るという異常気象が観測できる。また、共感することで会話を盛り上げるテクニックが幅広く共有されているため、「うんうんうんうん」や「あーあーあーあー」などの相槌を多用する共感レスポンス妖怪が各地で目撃されている。

社会的に抑圧されているためか、個人間の競争は激しく殺気立っている。社会的に(過去には物理的に)殴るやつが勝つ社会。立ち振る舞いや声量、外見、地位で殴り続けられるやつが優勝。オラオラ歩き、ガンを飛ばす・飛ばさないなどの優劣、お嬢様歩き、高音でのイキリ、などが行動として現れる。見知らぬ他人と目線が合うか合わないかのところでドタバタ劇が始まるのは、目線を合わせた途端に紛争が勃発し得るからである。しかし一方、謙遜や博愛、遵法などの教育勅語的な価値観の浸透、もしくは画一的で管理型の教育方針が個人同士の戦いを抑制し、燻らせている。

日本人にとっての内と外の区別は、家族かそうじゃないか、恋愛対象かそうでないか、友達かそうでないか、日本か海外か、中韓かそれ以外か、日中韓含めたアジアか欧米かで大体分けられる。

外の世界には興味がない。内の世界で存在感を示す、名を残すことが重要。日本人のほとんどは日本に住んでいるので、多くの場合において敵は日本人になる。また、東南アジアや中東、アフリカ、ラテンアメリカの各国を区別できない。

日本人同士で戦うのは無駄だからやめよう。世の中は広い。